【シンガポール移住記】帯同、海外就職、内定取消。地獄の移住を乗り越えた話

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  • キャリアを諦め旦那に帯同?旦那を諦め自分のキャリアを追求?女の究極の選択に悩み激痩せ
  • 初めての海外就職で会社都合の内定取り消し
  • 海外移住後1年半でコロナ解雇就労ビザ取り消し

…私のシンガポール生活はこんな調子ですったもんだです。キラキラ海外生活とは程遠い。そんな困難多き海外生活を送っていますが、結局は、なんとかなっています。

そして今後も何が起きても、なんとかなってしまうということを私は知っています。

今回はこんな私が、

  • シンガポール移住・海外就職に至るまでの道
  • このブログをはじめようと思った理由
  • 現採妻/現採女子としての揺るがない信念

について、自己紹介も兼ねて移住記を書いてみようと思います。私の経歴については、プロフィールにも記載していますのでそちらも良ければご覧ください。

これから海外に移住する方、帯同する方、海外就職される方で、悩みや不安を抱えている方がいれば、少しでも勇気を与えられたらなと思います。

もくじ

思い出すだけで辛いシンガポール移住記

2019年12月にシンガポール移住するまでの私の道のりを振り返ってお話しします。思い出すと当時の辛さが蘇るので、正直書き起こすのにかなり労力がいり何日もかかりました。

今は外資系企業で働く現地採用OL

シンガポールの風景

今は、旦那さんと2人暮らしで、2人とも現地採用としてそれぞれ就労しています。平日はゆるりと働いて仕事終わりには運動したり、休日は友人と会ったり旦那さんと過ごしたりしています。

2024年現在、シンガポールに来てから4年半経ちますが、いつ日本に帰国するかは特に考えていません。駐在員のように仕事の任期がない分、いつどこに住むのも、私たちの自由です。

今の生活は仕事も私生活も充実していて楽しいです。日本のような堅苦しさやストレスもなく、かといって常夏でボーっと生きているわけでもありません。色んな文化や価値観、人種、ビジネス、人の動きが入り交じる東南アジアの中心で、色んな刺激をもらう毎日がすごく楽しいです。

けど、シンガポールに来る以前の私は、今とは正反対の状態でした。

毎日ゆとりも余裕も全くなく、悩み、地獄の日々でした。

シンガポール移住前、病んでいた日々

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24歳の時、当時の彼がシンガポールで働くことになり、交際10か月でスピード結婚しました。同世代の人の中でもダントツで早い結婚だったけど迷いは一切ありませんでした。

ただ、結婚後が想像以上に辛かったです。

なぜなら、社会人2年目の24歳という若さで女性特有の壁にぶち当たってしまったから。

もうすぐシンガポールに旅立つ旦那さんを目の前にして、

今の仕事や描いていたキャリアを犠牲にして、旦那さんに帯同するか」

結婚生活を犠牲にして日本に残り、自分のキャリアを追うか」

究極の選択に迫られました。

私は当時社会人2年目で働き盛りだったのもあり、圧倒的に仕事をしていたい人間でした。けど愛するパートナーも大切にしたいのです。

自分のキャリアをとるか、自分の家族をとるか

決められませんでした。

結婚×女性のキャリア」に「海外」の要素もプラスされるとなると、参考にできる人がまるでいない。

同世代の友達にも家族にも相談できない。旦那が解決してくれるわけでもない。

1人で抱えていた。暗闇の中にいるようだった。

私も今の仕事を辞めてシンガポールで仕事を探そうと思ったけど、24歳のキャリアもスキルもない私がいきなり海外で働けるわけがない。ならば、今の会社に数年身を置いてキャリアを形成した方が着実だろう。今は到底無理だけど、数年後チャンスがあればシンガポール異動を希望できるかもしれない。もしくは仕事にケリをつけて専業主婦として帯同するのかもしれない。。。

色々考え、悩みました。

私は普通に働いて愛するパートナーと居たいだけなのに、なぜ犠牲を払わないといけないのか?

なぜ究極の選択を迫られるのは女性なのか?

優しい旦那さんは、私の好きなようにしていいと言ってくれました。

「シンガポールに来て、専業主婦になってもいい」

「日本に残って、仕事を頑張ってもいい」

旦那さんの言う通り、私は私の好きなようにすればいいだけです。けど結局は、何かを捨てないといけないということに変わりはありません。

女性であることを恨みました。結婚して幸せなはずなのに。

「キャリアプラン」に対する考えの変化

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辛くて誰かに相談したくて、女性のキャリアコンサルタントの方の元へ駆け込んだけど、「海外」が絡んでいるせいか、パッとしたアドバイスをもらうことはできませんでした。私は引き続き暗闇の中。

けど一つ良かったのは、女性コンサルタントの方が「プランドハップンス理論のことを教えてくれたことです。キャリア理論のひとつで、「計画された偶然」と訳されます。

「個人のキャリアは、偶然によって左右されることが多く、これらの偶然をポジティブに考えることでキャリアアップに繋げることができる」という考えで、要はキャリアプランを綺麗に描いたところでほとんどその通りにならないということです。

確かにそうかもしれない。「若くして結婚」「旦那がシンガポール移住」という予想もしていなかった偶然に直面した今、24歳の時点で私が描いていたキャリアプランは崩れかけている

そして私の中の常識も崩れました

キャリアプランを描いたところで無駄。特に女は。

そう吹っ切れました。

思えば新卒の就職活動の時、面接とか自己分析とかでいちいち、「5年後、10年後の自分はどうなっていたいですか?」みたいなことを散々聞かれたので、キャリアプランは明確に立てておくべきだと当然のように思っていました。

けどこの時思ったのです。

キャリアプランってなに?綺麗ごとすぎる。

人間、特に女性は、「結婚」「それに伴う転居(私の場合は海外移住)」「出産」、、とか予期せぬことも含めて色々状況が変化するのに、プラン通りに行くわけがなくない?ましてや目まぐるしく世の中が変化するこの時代に、と。

この時から、暗闇の中で私の価値観が少しずつ変わり始めていきました。

人生を変える出会い。海外就職への挑戦

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そんなもやもやしていた時、GJJ海外就職デスクという、海外就職専門のキャリアコンサルティング会社を見つけ、藁をもすがる思いで初回カウンセリングに顔を出しました。

これが人生を変える出会いでした。

私の話を聞くなり、コンサルタントの方が言ってくれました。

「あなたは数年待たず、現地採用で今すぐシンガポールに行くべき。」

「年齢的にも学歴的にも有利。今のあなたならシンガポールの就労ビザが降りる。」(2019年当時の基準で)

あなたならシンガポールで働ける。

衝撃でした。24歳でキャリアも経験も何もない私は、海外就職とか夢見る前に日本で着実にキャリアを積むべきだろうと思っていました。なのに、そんな私でもシンガポールで働ける?しかも、就労ビザ的にも数年後ではなく今すぐ行った方がいい?

コンサルタントの言葉には半信半疑だったし、今の会社を辞めることに迷いはあったけど、今すぐシンガポールで働けるチャンスがあるのなら、行きたい。そう素直に思いました。そして賭けてみることにしました。

数日後にはGJJの海外就職支援の申し込みをして、シンガポール就活にギアを入れました。この時の私の行動力やモチベーションはすごかったです。キャリアの棚卸、書類作成、面接対策など、1~2か月ほどかけて準備をし、いざ面接開始。

なんと数週間で初内定をもらい、その後スムーズに就労ビザも降りました。

コンサルタントの仰っていた通りでした。ノーキャリアの私でも、シンガポールで仕事を見つけられた。何より、ちゃんと自分の仕事を持って、旦那さんの元に行けることが一番の喜びでした。

・・・しかし、喜んでいたのも束の間。

私はどん底に突き落とされ、再び地獄を見ます。

移住直前「内定取り消し」通告

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現職を既に退職し、いざシンガポールに移住する2週間前。

海外での新生活がようやく始まる。しかも自分の仕事まで手に入れて。6ヶ月間の遠距離新婚生活がやっと終わる。本当に嬉しくて、楽しみで仕方がなかった。

そんな希望に満ちていた最中、信じられない通告をされました

「会社都合の内定取り消し」

こんなことってあるのでしょうか。

混乱。絶望。過去数か月の葛藤も努力も、全てが水の泡。

色々悩みはしたけど、なんとか前を向いて、未来を見て頑張って、ようやく掴んだ理想の生活が始まる矢先のこの仕打ち

旦那さんと電話して、こんな自分が惨めで情けなさ過ぎて、涙が止まりませんでした。こんなに身も心もボロボロなのに、慰めてくれる人すら近くにいない。

心底つらかったです。

一旦シンガポールに行ってから、また仕事探し頑張ろう。そうやって、自分を保つことにしました。

再度内定獲得。悲願のシンガポール新生活へ

シンガポールの国旗

シンガポール移住直前で内定を失い完全に戦意消失していた時、シンガポールの日系企業の社長様と面接し、なんと内定をいただくことができました。内定を取り消されて1−2週間の出来事でした。

仕事内容も自分がまさに求めていたもので、これは本当にただのラッキーとしかいいようがありません。その企業様に救っていただきました。本当に感謝しています。

2019年12月、晴れて私は、「自分の仕事」も「結婚生活」も両方手にいれてシンガポールに渡りました。

私は、自分が大切にしたいものを何も犠牲にしなくてよかったのです。

夢の様でした。辛くて孤独で地獄のようだった結婚直後の日々、そして思いもよらない内定取り消しから、こんな日がくるなんて。パートナーと同じ家に暮らし、やりがいのある仕事に就き、自分でお金を稼ぐ。苦労したからこそ、そんな当たり前の日々がものすごく幸せに感じられ、自分をここまで連れてきてくれた周りの皆様に感謝の念でいっぱいになりました。

その思いは、数年経った今でも変わりません。そして、かつての私のように海外帯同・移住で悩みを抱えている女性はきっとたくさんいるのだろうと思いました。

「キャリア」と「帯同」に挟まれて悩んでいるのは、私だけではないだろうと。

ブログを始めようと思ったきっかけ

帯同」「キャリア」「海外移住」・・・悩む女性を勇気づけたい

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私がブログを立ち上げようと思った理由のひとつに、

結婚」「帯同」「キャリア」「海外就職」の狭間で悩む女性に向けて、

私の辛い過去をさらけ出し、乗り越えた経験を発信して、

少しでも道しるべになりたい。

という思いがあります。

パートナーの突然の海外異動で、自分はどうすべきか分からない・・・

相談できる人も参考にできる人もいない・・・

何かの犠牲や選択に迫られていて、毎日辛い・・・

そんな思いをしている人の手助けになりたいと思ったからです。

昔、私が辛かった時、道しるべになるような人や情報に出会いたくても、出会えなかったら

今、しんどくて悩んでいる人に私の記事が届いて、「私もあなたと同じでした」と、寄り添えたらいいなと思ったから。

そんな理由もあって、ブログを始めてみようと思いました。

海外生活を切り抜くための「信念」

世界のどこでも、いつでも、誰とでも働ける女性になる

シンガポールの風景
  • 海外帯同
  • 海外就職
  • 内定取り消し
  • コロナ禍
  • コロナ解雇
  • シンガポール再就職
  • 給与遅延発生
  • 2回目のシンガポール転職

・・・シンガポールに来てからの3ー4年間で色々な経験をしました。本当に。

元々よわっちい私がこの波瀾万丈を乗り越えられるのは、シンガポール移住時に掲げた、確固たる信念を持ち続けているからです。

それは、

「世界のどこでも、いつでも、誰とでも働ける女性になる」

です。

この信念のおかげで、私はどんなに辛い時でも自分を保っています。

シンガポール移住時、結婚や海外帯同について悩んでから、人生は自分の思い通りにはいかないものだと悟りました。特に女性は。

けど、そんな人生だからこそ、変化が目まぐるしい世の中だからこそ、

自分を強くするために、柔軟でしなやかで、自立した女性でいたいと思ったのです。

「世界のどこでも」・・・地球のどこに暮らしていても、

「いつでも」・・・結婚しても、将来子供ができても、コロナのような予測外なことが起きても、

「誰とでも」・・・どんな人種、宗教、価値観、バックグラウンドを持つ人とでも、

「働ける女性になる」・・・自立して働ける「女性」になる

これが今の私の行動の指針です。私を突き動かす全てです。

こんなことを言っていますが、私は決して立派な人間ではありません。普通の人間です。むしろ色んなことを経験して悟りすぎて、もはや適当に生きている方です。

将来を見据えての素晴らしいキャリアプランなどはありません。仕事で成し遂げたい夢や情熱もありません。ただただ、この信念に沿って生きているだけなのです。

海外移住してから、このスタンスでいる方が楽だと気がつきました。

実際、海外に来てから散々色々な目に合い、度々状況が大きく変わりましたが、この信念だけはブレていません。困った時、辛い時の私のバイブルになっています。

ガチガチの人生設計を立てるよりも、柔軟に構えている方がよっぽど楽だと気づきました。

さいごに

長い移住記と自分語りになってしまいましたが、これから海外に住む方、帯同する方、海外就職を考えている方に、少しでも勇気を与えられたら嬉しいなと思います。

どんな事情で海外移住するにせよ、慣れない土地で暮らしたり、働いたり、子育てしたりすることは、並々ならぬ努力と勇気がいる事だと思いますし、異国の地で生活している方は本当に尊敬します。私の周りにも色んな理由でシンガポールに住んでいる方がいますが、どの方も本当にたくましいなと感じます。

私もここまで色々ありましたが、今が人生で一番楽しいです!!うまくいかない事もありますが、乗り越えてお互い楽しい海外生活を送りましょうね!!

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もくじ